若松監督、7年間ありがとう!
2005年 10月 15日
天気予報は雨だったのに、朝起きたら太陽の光がまぶしかった。快晴。神宮の最終戦は行えるな、とバドミントンの用意は持たずに出かける。神宮の最終戦の後に、若松勉監督の退団セレモニーが行われることになっている。
試合開始とほぼ同時に神宮に到着。いきなりソロホームランを打たれるが、ヤクルトも着々と点を重ね、3回には青木選手が202本目のヒット!結局、ヤクルトが5-2で勝った!有終の美!
試合後は若松監督の退団セレモニー。選手が一列に並び、監督は前に出て、現役時代から打撃コーチ、現在に至るまでのVTRがオーロラビジョンに流れるのを、しみじみと見ている。2001年、マジック1になっても神宮3連戦で決めることができずに、10月6日に横浜スタジアムでやっとセ・リーグ優勝を決めた後のインタビューで「ファンの皆様、本当にありがとうございます」と言いたかったのを「ファンの皆様、本当に、あの~、あの~、おめでとうございます」と言ってしまった映像が流れると、球場内に笑いが湧く。
そして、宮本選手会長と石井副会長から花束が贈呈され、胴上げされ、場内を一周。そのとき私はバックネット裏にいたのだが、紙テープを投げ入れようと思い、フェンスの低い一塁側に移動。いすの上からテープを投げ入れたら、バランスをくずし、転げ落ちた。左足がすご~~~く痛い。骨を折ったことはないけど、そのくらい痛いんじゃないかって思うほど痛かった。
でも、すぐに歩き出し、少し移動して、今度は地面からテープを投げ入れようとしたら、入らなくて、フェンスのそばにいた人に当たりそうになった。怒られるかなぁって思ったけど、残念だったね~、みたいな、ヤクルトファンはみんな仲間、みたいな、優勝した後のような、暖かい雰囲気が漂った。そして、私の名前が呼ばれた。
声の方向を見て、「どなたでしたっけ~?」と聞いてしまったのだけれど、「近鉄戦を一緒に見た、、、」と聞いて全て分かった。彼は私の大学時代の友人の中学・高校の同級生。私は2001年の日本シリーズ、ヤクルトVS近鉄、第1戦と第2戦を当時大阪勤務だった彼と大阪ドームで一緒に見たのだ。今は関東に戻っているとのこと。
私が紙テープを投げ入れようとしなかったら、18,036人の中で気づかれることはなかったはず。4年ぶりの再会で、何か食べようってことになり、行きたいと思っていたアスリートバーが見つからず、行きつけのブラジル料理店も閉まっていたので、よさげなレストランを見つけて入った。
いろいろ話した。楽しかった。これからは、ヤクルト戦、一緒に見に行こう~!
足はやっぱりちょっと痛いみたいなので、湿布して寝よう。2週間後と1ヵ月後に5kmずつ走るんだけど、大丈夫かなぁ。歩いたり走ったりできるけど、ちょっと心配。